全体に背伸びしすぎで、舞台に立つ体ができていないままに自分たちがやってみたい課題に取り組んでいるように見える。発表会であればそれでよいと思う。しかしショーとして上演するのであれば、もっと舞台全体の質の最低ラインを高く設定すべきだと思う。もし今回の質でも投げ銭程度の入場料であれば十分だと考えるなら、チケットプレゼントのような制度を採っている(とらざるを得ない)、つまり無料の小劇団の公演をいくつか見てほしい。おそらく今回の公演に比べれば、まだ質の高い舞台が見れると思う。
ステージマジックを一度も見たことがない人が何かのきっかけでマジックに興味を持ち、たまたま今回の舞台を見に来てくれたことを想像してほしい。その人が上記のような公演を見た経験があれば、マジックやジャグリングというジャンル全体に対する評価はとても低くなり、二度と観る気を失ってしまうだろう。もっと舞台を、マジックやジャグリングという芸能を大切にしてほしい。
ストーリーがあまりに稚拙で、ショー全体の進行を支える骨格となりうる力がない。黄金の紙とは何だったのか、黒いグループが黄金の紙を欲しがる動機はなにか、黄金の紙が破れることで登場人物たちは何を期待し、実際に何が起こったのかなど、もっとも中心的なモチーフであるはずの「黄金の紙」についての基本的な設定すら観客に伝えられていないと思う。
そもそも、今回の出演者に対してストーリー仕立てという演出を選ぶことが本当に効果的なのか、十分に検討されたのかも疑問に思う。主にダンスやジャグリングやマジックの練習をしてきた出演者が多いのであれば、演技力が要求される構成にすることはとてもリスクの高い選択だと考えるべきではないだろうか。ストーリー仕立てにすることで観客に何を提供したかったのか、そのために最低限必要なことは何なのか、もう一度よく考えてほしい。
客席の使い方の意図が不明瞭で、出演者の演技力のなさを強調してしまっていると感じた。演技力を十分に持った役者は「不思議な世界の住人」のまま客席という半日常空間に降りてきて、そのまま客席を非日常の空間にひっぱりこむだけの芸を見せる。しかし今回はそれだけの芸を持った出演者はおらず、客席に下りてきてしまうとただの妙な格好をした人になってしまい、観客を非日常の世界にひっぱりこむどころか、舞台が作り物であることを思い出させてしまう逆効果になっていたように思う。
ステージハンズなどの裏方的な役割のスタッフが、最後に舞台上に出てくるのは強い違和感を感じた。裏方は観客に存在を感じさせぬことを目標に舞台にかかわるものだと思う。良い仕事をしている裏方ほど姿を見せられても観客はどんな役に立っていたのかわからず反応のしようがないはずだし、姿を見せて観客が役割を理解したなら裏方として良い仕事をしていなかった証拠なので、観客は喝采しないだろう。だから裏方は舞台上で観客に挨拶したりしない。
今回舞台上で観客に挨拶をした裏方の人たちは、マジックが終わったあとで「このサ○チップは××さん作のとても高品質なものです」と観客に紹介するマジシャンを想像してほしい。そして存在を感じさせぬことを目標にかかわるべきものが、最後に登場して挨拶する意味をよく考えてほしい。
また最後の挨拶を除いて考えても、暗転の時間の長さ、客席内の演技と観客の誘導との衝突発生など、裏方の仕事内容も質が高いとは到底言えないレベルだったと思う。
他の団体とは違うことに挑戦しようとする姿勢は評価したいので、次回も観に行くとは思うが、マジックを見慣れていない人はもちろん、マジックを見慣れている人にも勧めはしないと思う。
課題は多いと思うが、マジック以外のエンターティンメントにたくさん触れて吸収し、多くの人に紹介したくなるような舞台を作ってくれることを期待したい。