2006年09月03日

「笑いを取る」ということばをたいへん嫌います。

狂言は毒をもって笑わせるのではなく、自然にわきあがってくる健康的な笑いを楽しんでもらうのです。『イソップ物語』の「北風と太陽」ではありませんが、強い風で直接的に吹き飛ばそうとするのが現代のお笑い。腰を振って下品なまねをしたりすれば、人は笑うでしょう。しかし、そうではなくて、じわじわと太陽の熱でおのずとコートを脱がせるようなほほえましい笑いが、狂言の笑いではないかと思うのです。

流派や家にもよるのでしょうが、野村家では、「笑いを取る」ということばをたいへん嫌います。おのずと笑わせるのです。(略) 人間がたくましく生きる姿を一生懸命に演じる。一生懸命にやればやるほどおかしくなってくる。素直に見てもらって、素直に発散できる笑いが、狂言の笑いの特徴であると思います。

もちろん喜劇的な風刺の側面もありますが、根底に流れているのは、限りない人間への賛歌、人間肯定の思いです。(略)

人生を変えるほどの大テーマを突きつけたりはしないけれども、観客席も舞台に共鳴して、いつの間にかストレスを発散している。狂言の社会的存在意義は、浄化作用なのではないかと思っています。すっきりして、あしたもがんばろうという開放感を味わう。帰り道に、ふっと思い出し笑いをしてしまう。そういう幸福感を持ち帰っていただけるところが、狂言のいちばんいいところではないでしょうか。

シェイクスピアが『ハムレット』のなかで、「芝居は人生の鏡」といっています。狂言も、自分を映せるとてもシンプルな鏡面構造をしていると思います。テレビなどは、一方的で受動的なものだと思いますが、自分の感性で参加できる楽しみが、狂言にはあると思います。

受身専門で、それ以上のものを求めない人には難しいかもしれませんが、自分の感性を潤わせて遊びたい人には、ふさわしい演劇だと思います。ぜひとも、想像力を持って、狂言の世界で高度に遊んでもらいたいと思います。

萬斎でござる, 野村 萬斎 著, 朝日新聞社 より。


「能狂言入門」で見かけて、「にほんごであそぼ」でファンになった野村萬斎さんの本を、家人が図書館から借りてきたので読みました。

前半は、和泉流の狂言師の家に生まれた萬斎さんの初舞台(3歳!)から、学生時代、修行時代、留学、襲名、現在の活動と成長の過程を追いながら、萬斎さんが狂言をどう考えてきたのかが語られています。最後は狂言の歴史や見所を紹介、巻末には「おすすめ狂言選」もあって、読んだら狂言を観に行きたくなること間違いなしです。

引用は最後の狂言の見所から。コメディータッチのマジックの中に好きなものとそうでないものがありますが、その差を鮮やかに説明してくれたように思います。自分でやるマジックの中の笑いは、萬斎さんが目指すのと同じ方向でありたいなぁと思います。

・・と思って自分の演技を振り返ると「腰を振って下品なまねをしているだけ」だったのではないか?と鬱々としてしまう今日この頃です。

そしてマジックの社会的存在意義って何なんでしょうね。何のためにマジックを見てもらうんでしょう。

・・そんなことばかり考えているので、最近は自分でマジックを演じる気持ちが120%ダウン中です。ま、プロじゃないので、それもまた良しと気楽に構えていますけど。

この本からは萬斎さんの狂言への愛情と誇りがあふれています。オレもマジックについて、こんなふうに語れるようになりたいし、こんなふうにマジックを語れる人ともっと交流できたらいいなと思います。


posted by こりん at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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